慇重寺

室町時代の末期、天文八年(1538年)開基釋宗信によって開かれた真宗寺院です。開基である法名釋宗信の父・俗名小八郎(法名釈道勇)が、親鸞聖人の本願念仏のみ教えに帰依し、道場創立を願い多くの御同行とともに浄財を集め、慇重寺は創建されました。
その後、慶長五年(1600年:関が原の合戦2ヶ月前)に、本願寺第12代法主である教如上人が、東国の徳川家康と会見したのち京へ帰る途中、三河三カ寺(本証寺・上宮寺・勝鬘寺)を中心とする地域の末寺・門徒に迎えられ、尾張清洲まで到着しました。しかし、美濃笠松あたりの木曽川河畔の渡船場は石田三成方に固められ通行困難となり、そこで教如上人は、地元の門徒や武家を通じて岐阜城主織田秀信に斡旋を依頼し、事なきを得て通ったといわれています。その折の慇重寺住職西光坊釋浄心ならびに門徒らの尽力に対し、慶長六年(1601年)に「教如上人寿像」が下付されました。
近代では、第16世釋静の時、明治24年(1891年)の濃尾大震災により本堂が倒壊し、第17代釋義雄の時、御同行の信心のよりどころの本堂の再建に取り組み、大正14年(1924年)本堂その他の諸堂が再建され落慶入佛法要を厳修しました。戦後、第18世釋幽顕が昭和26年(1951年)に戦争中鉄の供出のため、損失していた鐘楼の再建、さらに昭和50年(1975年)には庫裡の再建をして、宗祖親鸞聖人七百回忌を厳修し現在に至っています。